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サラリーマン生活30年 分野を限定せずに幅広いジャンルで旅、生活、興味のあることを 普通の会社員生活視点から情報発信してまいります。

出張という旅 番外編 奥尻島

番外編 奥尻島

 

 沖縄赴任時代は離島出張が日常的であったが、さすがにもう離島への出張には縁がなかった。

 しかし一度だけ離島への出張の機会が訪れた。北海道の奥尻島である。これまた公務で行く機会は皆無に近い場所なのだが、函館に赴任していた時に、奥尻島にある取引先の販売店が改装オープンすることになり、売場設営応援で訪問することになった。もちろん、奥尻島は初めてである。

 2006年6月11日11時25分、函館空港から1日1便だけ飛んでいる、北海道エアシステムのSAAB340Bという双発の36人乗りプロペラ機で奥尻島へ向かった。

 函館山の付け根を低い高度で横切り、衛星写真を拡大したかのように西部地区にある我が家も小さく視認することができた。天気に恵まれてよかった。悪天候だったら欠航の可能性が極めて高かった。

 渡島半島を横切り海上に出ると早くも高度を下げ始め、斜め前方に奥尻島の島影が見えてきた。海の色が深い濃紺だ。

 奥尻空港は小さいながらも立派なターミナルビルがあった。栄えある1日1便の飛行機がやってきて小さい空港が活気だっているように見える。

 訪問先は空港近くの青苗地区にあり、タクシーですぐに到着した。

 すでに同業他社含め多くの作業者が到着しており、小さな島にここだけものすごい人数が集中していた。

 店舗売場の設営作業は半日で無事に終了。

 夕方今夜の宿泊地の奥尻湯ノ浜温泉へ向かった。途中見えた夕日がいつもの夕日とは別のもののように一層美しかった。 

宿の温泉も格別だったが夕食に出たアワビがすごかった。高級品で普段はとても食する機会は無かい。それが結構なボリュームでしかもウニと共に登場したのには感動した。美味しかったのは言うまでもない。

 

 翌日は午前中、再度取引先を訪問し、開店に備えて最終チェックを行った。

 昼過ぎのフェリーに乗船するまで多少時間の余裕があったので、近くの奥尻島津波館を訪ねた。

 平成5年7月12日に発生した北海道南西沖地震。その直後に島を襲った大津波の痛ましい記憶を後世に伝える施設である。穏やかな島と海を見ていると信じられないくらいの当時の生々しい被害の状況が伝わってきた。その数年後に岩手で東日本大震災に遭うとはもちろん夢にも思わなかった。

 帰りは奥尻港からフェリーに乗船し、江差へ向かった。2時間10分ほどの所用時間である。

初夏の日差しのもと日本海は穏やかで、快適な船旅であった。船内の広さとゆとり感は飛行機や列車の比ではない。しかし時間の流れがゆっくりで景色は単調なので2時間くらいがちょうどいいように思えた。

 江差からは同業他社の営業マンの営業車に函館まで便乗させてもらう段取りとなっていた。彼は往復ともフェリーで江差に営業車を一晩駐車させておいたとのこと。

今はで他社の営業車に便乗するなどは企業ガバナンス的にあり得ないと思われるが、当時はまだのんびりしたもので、いい時代であった。北海道によくみられる「助け合う」気質も大きいのだと思う。函館までは国道227号線で約75キロ、90分ほどであった。 

その後、奥尻島へは渡ることなく函館赴任を終えたので、貴重な奥尻島への訪問であった。

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