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サラリーマン生活30年 分野を限定せずに幅広いジャンルで旅、生活、興味のあることを 普通の会社員生活視点から情報発信してまいります。

出張という旅 番外編 奥尻島

番外編 奥尻島

 

 沖縄赴任時代は離島出張が日常的であったが、さすがにもう離島への出張には縁がなかった。

 しかし一度だけ離島への出張の機会が訪れた。北海道の奥尻島である。これまた公務で行く機会は皆無に近い場所なのだが、函館に赴任していた時に、奥尻島にある取引先の販売店が改装オープンすることになり、売場設営応援で訪問することになった。もちろん、奥尻島は初めてである。

 2006年6月11日11時25分、函館空港から1日1便だけ飛んでいる、北海道エアシステムのSAAB340Bという双発の36人乗りプロペラ機で奥尻島へ向かった。

 函館山の付け根を低い高度で横切り、衛星写真を拡大したかのように西部地区にある我が家も小さく視認することができた。天気に恵まれてよかった。悪天候だったら欠航の可能性が極めて高かった。

 渡島半島を横切り海上に出ると早くも高度を下げ始め、斜め前方に奥尻島の島影が見えてきた。海の色が深い濃紺だ。

 奥尻空港は小さいながらも立派なターミナルビルがあった。栄えある1日1便の飛行機がやってきて小さい空港が活気だっているように見える。

 訪問先は空港近くの青苗地区にあり、タクシーですぐに到着した。

 すでに同業他社含め多くの作業者が到着しており、小さな島にここだけものすごい人数が集中していた。

 店舗売場の設営作業は半日で無事に終了。

 夕方今夜の宿泊地の奥尻湯ノ浜温泉へ向かった。途中見えた夕日がいつもの夕日とは別のもののように一層美しかった。 

宿の温泉も格別だったが夕食に出たアワビがすごかった。高級品で普段はとても食する機会は無かい。それが結構なボリュームでしかもウニと共に登場したのには感動した。美味しかったのは言うまでもない。

 

 翌日は午前中、再度取引先を訪問し、開店に備えて最終チェックを行った。

 昼過ぎのフェリーに乗船するまで多少時間の余裕があったので、近くの奥尻島津波館を訪ねた。

 平成5年7月12日に発生した北海道南西沖地震。その直後に島を襲った大津波の痛ましい記憶を後世に伝える施設である。穏やかな島と海を見ていると信じられないくらいの当時の生々しい被害の状況が伝わってきた。その数年後に岩手で東日本大震災に遭うとはもちろん夢にも思わなかった。

 帰りは奥尻港からフェリーに乗船し、江差へ向かった。2時間10分ほどの所用時間である。

初夏の日差しのもと日本海は穏やかで、快適な船旅であった。船内の広さとゆとり感は飛行機や列車の比ではない。しかし時間の流れがゆっくりで景色は単調なので2時間くらいがちょうどいいように思えた。

 江差からは同業他社の営業マンの営業車に函館まで便乗させてもらう段取りとなっていた。彼は往復ともフェリーで江差に営業車を一晩駐車させておいたとのこと。

今はで他社の営業車に便乗するなどは企業ガバナンス的にあり得ないと思われるが、当時はまだのんびりしたもので、いい時代であった。北海道によくみられる「助け合う」気質も大きいのだと思う。函館までは国道227号線で約75キロ、90分ほどであった。 

その後、奥尻島へは渡ることなく函館赴任を終えたので、貴重な奥尻島への訪問であった。

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出張という旅  京都・大阪 2020年3月

京都・大阪

 

 2020年、中国の武漢から発した新型コロナウィルス感染拡大の猛威は日本国内でも感染者が日に日に増え、3月24日には東京オリンピックパラリンピック開催の1年延期が決定するなど、世界的規模で社会的にも経済的にも大きな影響を受けることとなった。

 3月以降、世間同様に私の職場でもテレワーク推進、商談への直行直帰など、感染リスクを回避すべく、働き方を大きく変えていくこととなった。不要不急な出張も控えるよう指示が出された。不要不急な出張なんかないと思うが、取引先によっては商談の中止、延期などの要請が出されるところも出てきた。

 東京都内でも3月28日29日の週末にかけて都知事から外出自粛の要請があり、いやがようにも緊張感か高まってきたが、このタイミングでどうしても行かねばならない出張があり、京都、大阪、名古屋を2泊3日の予定である。このあと4月7日には政府から全国に緊急事態宣言が出され、実質的に県外への移動は自粛となったので、まさに滑り込みである。出張の愉しみなどと言っていられない、リスクと隣り合わせの出張となった。

 3月29日、京都まで乗車した「のぞみ」の11号車は品川から京都まで乗客は私含めてわずか2名であった。品川駅も京都駅もさすがに通常より人出は少なく思えた。

 

京都駅

 

普段の3月末ならば新生活を控えた移動、春の行楽でかなりの人出になるので、やはり異常な状況である。

人出少ない京都の町

 

京都での商談の前後で河原町や洛北を少し歩く機会があったが、アジア系の訪日観光客はほぼ皆無で、欧米系の個人観光客が数人いた程度、銀閣寺前の通りには日本人観光客がそれなりにいたが、例年と比べると比較にならない少なさであろう。客待ちのタクシーが列をなしていた。

ANAクラウンプラザホテルもかなり空いているようで前年の半額程度の料金であった。しかしホテルのスタッフはいつもと変わらない笑顔とおもてなしを感じる応対であった。

逆にこちらが申し訳ない気持ちになる。朝食も同じ料金でルームサービスの対応もされていたのでこちらをチョイスした。

 

 翌日は大阪での打合せであった。出張の直前に、大阪府から兵庫県への相互移動自粛要請が出されており、緊張する。朝の電車は通勤客でそれなり乗客がみられたが立ち寄った心斎橋エリアは、訪日観光客の姿がまさに蒸発したかのように消えておりアーケードの反対側が見通せるくらいの状況である。

 梅田界隈はそれなりに人出が見られたがそれでも普段の半分くらいであろうか。

新大阪から名古屋まで乗車した新幹線は乗車した11号車には10名程度とこれまで空席が目立つ状況。名古屋駅やその周辺は大阪に比べると人の密度は高いように思えたたが、それでもこの時期ではかなり少なく思えた。

今回の出張は緊急事態宣言が出される直前ではあったが、すでに新幹線は空気輸送の状況、街の人出は通常の半分程度という印象であった。新型コロナ感染者数が各地で日々増えている状況下であったので、緊張感と恐怖感を持ち続けての出張であった。新幹線の乗客数が少なく気分的に少し楽になれたが、それでも2度とこのような状況下で出張に行きたいとは思わない。

全国に出されていた緊急事態宣言は約2か月後の5月25日に解除され、6月19日には東京などからの県を越える移動自粛要請も解除された。しかし新型コロナウィルスの感染拡大が完全に収束したわけではないので、今後の出張という業務の在り方も変えていかなければならないだろう。

新型コロナウィルスによる疾患の治療法確立やワクチンの開発がされ、不安なく国内、国外問わず旅に行ける日が来ることを切に願う。

 

出張という旅  金沢

金沢

 

 金沢にはご縁があるようだ。年末に引き続いて2020年、最初の出張は金沢となった。

年末に訪問した取引先とは別の企業との商談が1月9日に組まれていた。

 羽田16時半発のANA755便小松行きが今年最初のフライトとなった。年末年始の繁忙期を過ぎた機内は予想通り空いていた。

離陸して雲海を突き抜けると、雲間から頂を見せる富士山の向こうに夕日が沈もうとしていた。スマホのシャッターボタンを押さずにはいれなかった。

小松空港からはレンタカーで金沢市内へ向かう。市内の小売店を数店視察の後、今日の業務は終了。

駅前のANAクラウンプラザ金沢にチェックインし、遅い夕飯をとろうと目の前に建つ金沢の駅ビルに向かった。金沢百番街という駅ナカのショッピングモールは閉店している店も多く、開いていたそば屋を見つけ、暖簾をくぐった。

 

翌朝、目覚めてカーテンを開けると晴天の空のもと金沢の街が朝日に輝いていた。眼下には金沢駅の「もてなしドーム」と、その正面には金沢駅の新たなシンボルとなった、

 

「鼓門」が望めた。近代的なドームと、伝統ある能の鼓が融合したデザインは美しく、金沢駅アメリカの旅行雑誌「トラベル&レジャー」Web版で「世界で最も美しい駅」のひとつに選ばれたとのこと。である。

 せっかく早起きしたので金沢の街を散策してみることにした。例年ならば雪景色のはずであるが今季は全く積雪がゼロである。歩きやすくはあるが、冬の金沢らしい風情が少し乏しく悩ましい。

初詣を兼ねて兼六園内にある金沢神社に向かった。学問の神として知られる菅原道真公を御祭神とした神社である。ずらりと並んだ赤い鳥居が印象的である。境内はとても清々しい。

参拝した後、御朱印をいただく。金箔と銀箔が貼ってある豪華な御朱印であった。

 

10時からの商談は1時間ほどで終了。その後、同行した地元の営業担当Nさんと昼食を兼ねた打合せを実施して、市内の小売店を巡った。金沢の街は金沢城公園を中心に昔から街並みが形成されてきたようで、茶屋街や長町武家屋敷跡などの観光地、そして近江町市場のような商業地が広がっている。プライベートでゆっくりと訪ねてみたい街である。

一方、金沢駅の反対側、海側の方へいくと、

新興住宅地やロードサイド型の商業施設を中心に新しい町が形成されてきている。石川県庁もその一角にある。よく地方都市で見かける光景である。

 東京への帰りは小松発16時45分のフライトなので15時には金沢を離れた。

 小松ほぼ定刻に離陸したANA756便の機窓からは、薄暗くなった雲の上に富士山の頂を西側から拝むことができた。今年最初の出張はあっという間であったが無事に終了することができた。

 

 


出張という旅  富山 金沢

富山・金沢

 

 仕事納めの日は、例年身の回りの整頓くらいで大した業務もなく、新しい年への期待感と年が終わる寂寥感が交差して、何とも言えない空気感がオフィス内を漂う。一年の終わりの感じ方は人それぞれあるのだと思うが、私は仕事納めの出社時にそれを感じる。

社内的には年間売上げも確定しているので緊張感も消えている、故郷へ帰る社員は昼過ぎには早々と「来年もよろしく」と足早にオフィスを去っていく。

数年前ならば仕事納めの納会という昭和時代的儀式で、乾杯してから三々五々、みんなが散っていったものだ。

ところが最近では社会的な「働き方改革」の掛け声のもと、休めるときには休ませろという、社内の空気が強く、まさに仕事量が減る仕事納めの日は有休消化の絶好の日となっており、半数近い社員は早々と年末年始の休暇に突入している。仕事納めの日の独特の雰囲気はかたちを変えて、今年もオフィス内を漂っている。

 

 今年もそんなこんなで寂寥感漂う仕事納めを迎えるものだと思っていたところ風向きが突然変わってきた。

12月16日に北陸エリアを担当しているN営業担当からメールが入り、12月23日に予定されていた取引先との商談が12月27日に変更になったという。ああそうかと手帳をみると予定は空欄になっている。でもよく見れば空いているのは当然でなんと仕事納めの日ではないか。

まさか仕事納めの日が出張になるとは想定外だが、浜松町のオフィスで寂寥感のなか時間が過ぎるよりはいいかと思いPCに向かってチケットの変更とあいなった。

 

 今回の取引先との商談は、金沢で15時からとなっており前後の予定は比較的動きやすい。

この秋に隣県の富山県内に相次いでふたつの大きなショッピングセンターがオープンしたので、これらの視察も予定に入れていた。そのため富山経由で金沢へ向かうことになった。そうなると結構ハードなスケジュールで、富山入りは早い時間にこしたことはなく、富山空港着8時55分のANA便で飛ぶことにした。

 

12月27日の朝7時過ぎに羽田空港第2ビルに到着。出発ロビーに着いて驚いた。保安検査場はまさに人々の大渋滞。こんな人だかりの状態は記憶にないほどの混雑ぶりで、プレミアム検査場の入口ですら30メートルくらいの人の列。並びながら頭上の出発便案内表示を見ると見事にどの方面の便も×の満席表示。確認できたところでわずかに伊丹行きが△、そして我が富山行き313便のみが〇で空席有りであった。

世間はまさに帰省ラッシュに突入しているのを今更ながらに実感した。スーツを着てこの場にいる自分の違和感があった。でもそれなりに同じ境遇と思えるスーツ姿もちらほらあり、普段の平日の朝と年末の帰省ラッシュが混ざり合った12月27日朝の羽田空港出発ロビーだった。

結局、保安ゲート通過に30分強かかってしまった。よって早朝羽田出発時のパワーラウンジでの無料クロワッサンとコーヒーはスルーして、「富山行き最終のご案内中・・」の案内放送を耳にしながら68番搭乗口へ小走りに向う。

機内は小ぶりなボーイング737でも十分に空席があり。前方の左窓側A席が自分の席で、隣のB席は空席、その隣の通路側は白髪のスーツ姿の男性が座った。帰省客は新幹線に流れているのだろうか。

今日も富士山がよく見える。帰りは夜なので今年最後の富士山を眺める。空から富士山が見えるとなぜか子供のように心がときめく。諏訪湖が見え、夏の長野出張を思い出していたところ、窓外は機長のアナウンス通り雲に覆われて機体が揺れだしてきた。機長アナウンスでは富山空港の天候は雨、気温は12度とのこと。この時期にしては異常に暖かいなと思いつつ、スマホアプリのフライトトレーダーを見てみるとフライトルートは富士山からはほぼ一直線に北アルプス沿いに富山を目指すルートのようだ。このアプリは物凄い機能が満載で、世界中のエアラインの航空機の位置情報だけでなく機種や機体ナンバーまでリアルタイムで表示される優れモノだ。

晴れていれば北アルプスの景観が見事なのだろう。以前、富山から羽田に向かった時は、離陸後日本海沿岸沿に飛行し、長岡付近から尾瀬、南会津那須上空を経て羽田に向かった。この時は夜間で何も見えなかったが、日中だったらさぞかし見事な景色だと思われる。上り下りの便で、しかも短距離でこれほど違う景色を堪能できる路線は、この羽田富山線が三本の指に入るのではないかと思われる。

富山市上空をいったん通り越し、富山湾の沖合まで飛行し高度を下げてからUターン。北側から富山空港へアプローチしてほぼ定刻にタッチダウンした。

 

空港からバスで富山駅へ移動。わずか20分余りで到着。空港と市内中心部の近さでは、これまた全国で三本の指に入るだろう。

駅ビルで「立山そば」の遅い朝食後、レンタカー営業所に立ち寄り黒いデリカD:2が相棒となる。タイヤはさすがにスタッドレスだ。しかし暖冬で積雪はゼロである。

日中は予定通りの業務をこなす。富山駅前の閑散ぶりとは対照的に年末の郊外ショッピングモールは平日でも年末の買い物客で賑わっている。典型的な地方都市の姿を感じる。

富山県を離れ、金沢市へ向かう。

郊外の「スタバ」で営業のNさんと合流し取引先へ向かった。

商談は無事に終了。先方の新しいブランドの反応は上々であった。

打合せ終了の余韻を味わう間もなく営業担当と別れ、デリカD:2小松空港へ向かう。北陸道の車の流れは快調だ。まだ帰省ラッシュの影響はないのか、そもそも帰省渋滞のないエリアのどちらかだろう。フライトは18時15分発だから2時間近く余裕があるので、初の小松空港ANAラウンジでPC業務をしようと思う。

小松空港に17時時過ぎに到着。なにやら大きな掲示板に手書きで「出発便遅れのご案内」との告知が。また遅延かと憂鬱な気分で見てみると、ANA756便定刻16時45分発が1時間近く遅延とかかれていた。ん。これは予定では飛びだっているはずの一本前の便ではないか。もしやと思い自動チェックイン機で便変更画面をタッチすると、すんなり遅れの756便に変更ができた。しかも窓側A席がとれた。

たびたびフライトの遅延にはおつきあいしており、被害を被ってきた。しかし飛行機での移動には付き物でしょうがないことだとその都度言い聞かせてきたが、今回は遅延の影響で逆に早く前の便で移動ができる。しかも好みの機材、A321である。なんだかとても得した気分なのだが、たまにはこれくらいのいいことがあっていいだろう。

756便は7割弱くらいの搭乗率。隣のB席は空席でC席には家族連れのお父さんが座った。やはり帰省なのだろう。愛知県上空から浜松付近で洋上へ出て50分ほどの遅れで羽田に着陸した。私的には1時間以上の早着である。

 2019年最後の出張は業務最終日に、ちょっといいハプニングと共に業務的にも予定通りに終了した。

来年がよい年であることを願う。

出張という旅  山口

出張という旅 山口(下松市)

 

山口から戻った翌週の2019年11月18日、7時50分発JAL291便で山口宇部空港へ再び向かうことになった。

この短期間に山口県に2回も向かうのは人生で最初で最後の可能性が極めて高いと思われる」。

今回も航路上の天候はよく4A席の窓から、ほぼ直下に富士山頂の剣が峰と、口を開けたような火口を拝むことができた。

今日は時間の都合でJALの利用だが、たまに搭乗するのも新鮮で好ましい。

機内に入るとドア脇に「スマホ置き」がイヤフォンと同様に盛られており、1個手にする。シートのテーブルに固定させスマホ乗せると、なるほどスマホが見やすくなる、ちょっとしたアイデアツールである。

 

搭乗時に機内に流れるミュージックは、ANAでは葉加瀬太郎さんのヴァイオリンによる「ANORTHOR SKY」。

一方JALはデイヴィッド・フォスターの「I Will Be There With You」でこちらはピアノだ。

どちらも耳に残る素敵な曲だが、これから旅に向かう時にはJALの方がワクワク感を高揚させる効果を感じる。

一方、ANAの曲は帰途、機内にて今回の旅路を振り返ることを誘うような曲風だと思う。

JALでのドリンクサービスでは必ずキウイベースのすっきり甘酸っぱい味わいの「スカイタイム」をお願いする。機内が空いているときはおかわりをしてしまう。

シートの前ポケットには機内誌「スカイワード」が収まっている。この機内誌は旅に関する興味深い記事やエッセイが満載だ。

日本語だけでなく英文でも記載されており下手な旅行雑誌よりクオリティが大変高いと思う。国内外の飛行ルートマップも掲載され、機内で読むのはもったいなく、CAさんにお願いして新品を持ち帰らせてもらう。

 

中5日で再び山口宇部空港へ舞い戻ってきた。今回は前回と逆方向で山口県東部の下松市へ向かう。

下松は山口宇部空港からは80キロほど東方に離れており、帰路は博多経由で帰京することとしたので、今回は下松迄、列車での移動を選んだ。

山口宇部空港のホームページで確認するとメインの公共交通機関新山口方面はバスとなっているが、鉄道の最寄り駅はJR宇部線草江駅で徒歩7分と掲載されている。

空港ターミナルを出て、空港の駐車場の縁に沿って、てくてく歩いていくと4分ほどで空港のゲートに出た。自動車なら数十秒だろう。

大きな通りを渡ると踏切が見えてきて、単線の線路の踏切を渡るとそこが草江駅であった。無人駅で短いホームが一本あるだけの小さな駅だ。空港アクセスとして空港のホームページに案内されている駅としては日本一小さい駅かもしれない。

それでも列車を待つ人が4人おり、その内の2名は空港から来た二人連れであった。

小さいながらも待合室があったが、ホームで外の空気を吸っていると、やがて電車のモーター音が聞こえてきて、新山口行きの黄色いカマボコのような電車がやってきた。たった1両の、色々と改造されたような痕跡のある電車であった。

ワンマン運行となっているが、車掌さんも乗っていて無人駅からの乗客にキップを打って歩く。私も新山口迄の乗車券を購入する。

1両しかないが、それなりの乗客はおり、新山口までドア脇の立ち席が定位置となった。

線路わきの林をかすめるように単行電車は進み、40分ほどでこの付近の乗り換え要衝駅の新山口に到着した。

 

10分ほどの接続で新幹線「こだま」に乗り換える。がら空きの自由席車に乗り込み、わずか13分で徳山着。ここで再度乗り換え、山陽線の岩国行きの鈍行電車で2駅目が下松だった。

下松駅、少し小さめの地方都市の駅である。

駅前にはタクシーが数台、客待ちしていてその奥に路線バスが出発時刻を待っている。

バスの運転士さんに「ゆめタウン下松」を通るか聞いてみると、「通るよ」とのことなのでそのまま乗車する。徒歩だと15分くらいかかりそうなので丁度よかった。

乗ってしまうとわずか数分で「ゆめタウン下松」前の停留所に到着。このゆめタウンという商業施設は中四国地方各地でみられるが、とても集客力があるようでどこも賑わっている。ここ下松でも同様だった

今回の商談はこの近くの小売店である。

 

商談は無事に終わり下松駅へ戻る。帰りのバス時間は微妙なところなので歩いて向かった。初めての町を歩くと、今自分は何をしているのだろうかと突然思うことがあるが、仕事である。日常的空間にいるか、非日常空間にいるかで同じ仕事でも印象度は全然違う。

出張先での業務の方が、プロセスにおいても成果においても質というか、満足度が高い。

車は通るが行き交う人の姿は見ないまま15分ほどで下松駅に到着。

往路来たルートを逆に徳山まで戻り、新幹線「こだま」に乗り換える。

16時過ぎに博多到着、営業担当のHさんと駅近くのドトールで打合せの後、地下鉄で福岡空港へ向かった。

 

今回の出張のささやかな楽しみとして、帰りのANA便のシートを、プレミアムポイントを使い、プレミアムクラスの席にアップグレードしていた。前回同様18時30分発で予約を入れていた。機材はB787なのでシートも新しめのタイプかも知れない。

夕方の福岡空港、出張のビジネスマンをはじめ様々な人々が行き交い、活況を呈していた。搭乗口前には優先搭乗の列が伸びており,みな一様に搭乗のアナウンスを待っている。

定刻の10分前にまずはグループ1の集団が搭乗開始。皆さんダイヤモンドメンバーだぞと誇らしげに、心なしか胸を張って搭乗ゲートに向かって歩いている。

グループ2が呼び出され機内に向かう。最前列の1Hに着席する。ゆったりしていて、足元は余裕あり、おまけに電動リクライニングでさすがに凄い座席だ。担当のCAさんからご挨拶いただき、コートを預ける。

乗客の搭乗中でCAさんも忙しいタイミングと思われるが通路を挟んだ隣の若いスーツ姿の男性は、早々にCAさんを呼び止め、シャンパンを頼んでいる。プレミアムクラスの常連なのか、なかなかの度胸の持ち主だ。

やがて搭乗が終わり、ドアもクローズし、シートベルト確認の案内を終わったが、機体が動き出す気配がない。

暫くすると「ただいま最終の出発前整備を行なっております、暫くお待ちください。」とCAのアナウンスが流れた。

嫌な予感がしつつ、安全のためなら仕方ないなと思っていると、CAさんがペットボトルに入ったミネラルウォーターを「どうぞ。」どくれた。通路挟んだ隣の男性はビールを注文している。やはり只者ではなさそうだ。

10分くらい経ったか、この男性がさらにビールのおかわりをしていると、「機長でございます。出発チェックを行った際、ブレーキの状態を表示する機器に異常が確認されたため整備を行いましたが、修理を要することがわかりました。そのため当便は運航を取りやめ欠航いたします。申し訳ございません。」概ねこのような内容のアナウンスが流れた。

周りは「あーあ」的な空気感が漂ったが騒ぐ人はおらず、みな粛々と降機の準備を始めた。件の男性は「こんな事もあるんですねえ。」とCAさんに言いながら降りて行った。

 

搭乗口に戻ると「後続便への振替手続きを行いますので案内があるまでこのあたりでお待ちください」とのアナウンス。地上係員も急遽なことで慌ただしく動き回っている。

この時点で羽田行きは最終便迄あと4便しかないから全員振替できるのか不安になる。

結局定刻19時45分発の270便へ振替となった。もう20時半近いからこの便もだいぶ遅れている。

プレミアム会員であることか、プレミアムシート利用だったからかはわからないが、一番早い便への振替となった。残念ながら普通席となったが諦めるしかない。

満席の270便は定刻から1時間ほど遅れて福岡空港を離陸した。

上昇とともに意識が遠のいていった。

今回使用できなかったプレミアムポイントは後日、口座に戻ってきた。

 

 

 

出張という旅 山口 2019年11月

出張という旅 山口・下関            

 

 5月から始まった取引見直し商談もだいぶ進んできた。各地の系列本部は概ね終了し、次のステップは地方に点在する個人経営の取引先との商談となってきた。

 個人経営の取引先は西日本に点在しており、一か所ずつ落穂拾いのごとく訪問していくこととなる。その多くはエリアの営業担当者に対応を任せているが、スケジュールが組めない、あるいは少々対応が難しいところは私が対応することになる。

 

まず山口県に向かうこととした。山口県内に対象となる取引先が2箇所あり、1回の出張でスケジューリングしていたが、片方の取引先から日時変更の申し出があり、2回に分けての出張となった。

 2019年11月11日、ANA266便は17時前に山口宇部空港に到着。明日の10時から商談なので前泊である。 

大きくもなく小さくもなく、これといって特色のない印象の空港ターミナル。ここからレンタカーでの移動となる。山口県は前の年に一度、社長と同行で広島から小野田の市場視察の後、山口宇部空港から帰京した時以来となる。今回向かう山口市方面は初めての。

今回の出張にあたり、宿泊地は宇部のANAクラウンプラザにしようと何日も前からホームページにアクセスしていたが結局前日になっても満室で残念ながら予約ができなかった。

11月の平日で満室とは大変景気がいい話だ。このあたりは工業地帯で出張需要があるわりにホテルが少ないのだろうと想像する。

 

山口宇部道路で約40キロ離れた山口市内の湯田温泉に向かう。

道半ばで日が暮れ、山口市内のゆめタウンのフードコートで夕食をとる。ゆめタウンは中国地方では各地に展開していて地域の集客スポットになっている。

ひとりでの出張時の夕食はいつも簡単に済ます。ささやかな出張日当は支給されるが、調子に乗ってご当地の名物料理などに手を出すと、あっという間に財布は軽くなり、度重なる出張で出張貧乏となってしまう。

札幌や福岡のように麺類がご当地グルメならそれで一択なのだが、大抵の出張先ではファストフード系の持ち帰りか、駅ナカや今回のようなフードコートのお世話になる。

ゆめタウンから湯田温泉の宿までは10分程度だったが、カーナビがなければ行き過ぎるところだった。

 

ホテルは思い切り昭和感が漂う寂れたホテルであった。久しぶりの温泉だったがあまり長く浸かる気にもならず、宿泊場所の選択に少々後悔しながらさっさと眠ることにした。

翌朝まだ薄暗い5時すぎに目が覚める。一刻の早くこの宿を出てどこかへ行きたかった。

朝食もとらずに6時前にはチェックアウトした。

 

この日もいい天気だった。商談は10時半からなのでこの時間を利用して津和野へ行ってみることにした。ガソリン代はもちろん自腹を切る。

国道9号線を一路北上して約1時間の道のりである。早朝で通行量は少なく快適な山間の一本道だ。昨夜のうっ憤を晴らしが如く気分が良い。

朝靄かかる県境を越えて島根県へ。やがて国道の眼下に細長く朝日を浴びた津和野の町並みが視界に入ってきた。

国道から左折して山肌を縫うように下っていくと町の中心へ延びる道に合流し、そのまま津和野駅へ向かう。途中、森鴎外記念館などがあり、駅近くには黄色く色づいた銀杏並木などもあり落ち着いた風情の城下町である。路地脇の水路の水がとても澄んでいる。まだ町は活動を始めていないのか人影はまばらだ。

津和野の町の片鱗だけ覗き、早々に山口市内へ戻る。

津和野はいつかまたゆっくり訪れてみたいと思う。

 

山口市に戻り、バイパス沿いのマクドナルドで少々遅い朝食をとる。

昨夜は暗くてわからなかったが、清潔感のあるこぎれいな町な印象だ。好天の影響でよけいそう見えるのかもしれない。

県庁所在地ではあるが県西部は下関や北九州、県東部は広島圏の影響が大きく山口市の経済的求心力は小さいらしい。

人影まばらなアーケード商店街の一角に目指す取引先がある。店は比較的新しく見えるが老舗である。

かなり齢を召された経営者とそのご家族が応対してくださり、取引見直し商談は丸く収めることができた。来春を目途に契約は解消となるので、もう私が出張で山口市を訪れることは恐らくないだろう。

 

山口市を後にして山口宇部道路、中国道で県西部、下関地区の市場視察に向かう。このあたり、平坦なイメージがあったが山間を縫うようにカーブが多く、ハンドル操作も慎重に行う。中国地方は実際に山の多い土地柄だと実感する。

約1時間で下関の市街地に到着。山口より気温が高く、人通りも車も多いようだ。ゆめタウンをはじめ数店の店頭状況を確認してまわる。

新下関駅で改札口前にある立ち食いそばで遅い昼食を済ませ、新幹線で博多へ向かう。

新下関駅を利用するのも初めてのこと。終着駅博多を目前にやってきた「こだま」は7分近く停車して、後続の「のぞみ」に道を譲る。在来線なら2時間かかるが、新幹線なら24分、新幹線の威力で博多は目と鼻の先だ。

ここまで来たら博多に表敬訪問せねばなるまい、ということで市場視察を兼ねて博多経由で帰京するスケジュールを組んだ。

 

博多駅界隈はいつもの多くのひとで賑わっていた。博多駅の改札口でEXカードをタッチして出場した途端、お腹が空いている事に気づく。博多口のKITTE博多地下にある飲食店街で、博多ラーメンのお店に入る。遅めの昼食となった。

今回は一旦東京へ戻るが週明けにまた来ることになるので福岡空港へ向かい、早々にANAラウンジでPCを開き、出張報告やメールの返信などの業務を片付ける。あっという間に1時間は過ぎて、ラウンジ内に間もなく羽田行き搭乗開始の案内が流れた。

登録販売者試験を受験して

医薬品登録販売者試験の申込みの時期がやってきましたね。

都道府県によって試験日と申し込み期日が異なり、例年では試験日が8月下旬~12月中旬、申し込み締切は各試験日の約2ヶ月前となっていますね。

私は昨年2021年度東京都の登録販売者試験を受験してなんとか合格することができました。

今年受験される方の参考にしていただければと思い、その時の経験を振り返ってみます。

実際に勉強を始めたのは2021年の3月頃からですので実質半年くらいの学習期間でした。一般的には遅いスタートでしょうか。日中は仕事がありますので帰宅後1時間程度、土日は3時間程度とこれまたそれほど時間を割いたわけではありません。長時間集中力を維持するのが苦手なので結果的にこんな感じでした。

登録販売者試験は5章からなっていて

・医薬品に共通する特性と基本的な知識 20問
・人体の働きと医薬品 20問
・主な医薬品とその作用 40問
・薬事関係法規・制度 20問
・医薬品の適正使用・安全対策 20問
合計120問

となっていますね。

全体で7割(84点)以上かつ、各章ごとの正解率が3.5割または4割以上(都道府県で異なる)が合格ラインといわれています。

かなり幅広い分野を、私の場合、短期間で学ぶ必要がありましたが、

①計算とか記述問題は一切なく、ひたすら暗記することが必要な試験なであること

②満点は必要なく、全体で3割は間違ってもOKである

③3章の「主な医薬品とその作用」の範囲が膨大で、特に漢方薬の成分効果効能などは絶望的に頭にインプットできそうもない、

という状況を鑑みて、

「3章は5割できればOK,そのかわり他の4つの章は9割以上正解させる」ことを

目標にしました。結果的に完璧をめざすのではなく3割はミスってもOK、苦手分野は無視しない、という作戦が、功を奏したといえます。

学習方法は独学で、テキストは1冊だけを最初は目を通して流し読み、何回か繰り返して理解していくようにしました。

そして6月くらいからネットのアプリ、過去問ランドでひたすら過去問を解くことを続けましたが、これがとても効果大でした!

試験はひっかけ問題もあるのですが、過去問を繰り返しやることで、ひっかからないようになります。

また、過去数年からの出題傾向が見えてきて、実際に本番で似たような問題がいくつか出題されてたので思わずガッツポーズでした。

あと、試験本番で、時間内に解答が終了したなら、退室前に見直しをした方が良いです。

マークシートなので意外とマークミスがあったり、未記入だったりもあるので、念には念をで、見直しました。

結果、自己採点では94点で、ボーダーラインを上回り、合格することができました。苦手だった3章も、6割は取れたので、なんとか作戦通り成功しました。

完璧を目指さないこと、それが合格のポイントかと思われます。

今年受験される皆様が合格しますよう心より

お祈りいたします。