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サラリーマン生活30年 分野を限定せずに幅広いジャンルで旅、生活、興味のあることを 普通の会社員生活視点から情報発信してまいります。

New Daysアプリの素晴らしさ

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出張という旅  番外編 南大東島

番外編  南大東島

 

 私は入社当時から出張には縁があった。入社して最初に配属になったのが沖縄の那覇で、1991年から3年間、那覇を拠点に県内の離島を担当し、営業で飛び回っていた。

 沖縄で生活して仕事をするという事は、とても貴重な経験をさせてもらったと思う。

当時の出張規定では同一県内の移動については出張扱いではなかったが、那覇から石垣島までは400キロ以上、東京大阪間に匹敵する距離があり、移動手段は飛行機なので実質的には出張であった。 

 石垣島宮古島にはひと月に2回、久米島には半年に1回程度の頻度で向かっていた。

当時の沖縄離島を結ぶ航空路線は南西航空という白地にオレンジ色濃淡のラインが印象的なエアラインであった。1993年に現・日本トランスオーシャン航空へと商号が変更になった。

まだ航空会社のマイレージプログラムなどなかったのが今から思えば大変残念である。

当時はまだプロペラ機のYS11も健在で久米島与那国島へ向かった際、何度か搭乗した。YS11のプロペラ音と振動のあとにB737に搭乗すると、ジェット機の快適さを改めて実感したものだ。そのB737もいまはなき第一世代のB737-200とよばれるエンジンが長細いタイプであった。

一度だけ宮古島から高速船で伊良部島へ渡り、短い橋で繋がった下地島の空港から1日に1便だけ運航していた那覇行きのYS11に乗ったことがある。当時、伊良部大橋はもちろん架かっていなかった。

下地島空港パイロットの訓練飛行場として開設されたので3000メートルの滑走路がある。しかしタクシーが横付けした空港ターミナルは、一見、サトウキビの倉庫かと見間違えるような平屋の小さな建物だ。看板の類も一切ない。

恐る恐る中に入るとレンタカーの受付のようなカウンターがあり、そこがチェックインカウンターであった。

 

仕事で渡った沖縄の離島で一番印象に残っているのは南大東島である。台風の通り道にあるため台風のシーズンになると、天気予報でその名前をよく耳にする。

この島は沖縄本島から東方400キロに位置する大東諸島の絶海の島である。地図を見ると宮崎の真南にあたり、さらに東方へ向かえば小笠原諸島である。勿論、その間に陸地は存在しない。

南大東島に何しに行くのかと思われるが、取引先の小売店がちゃんとあるので立派な出張である。しかし、なかなか簡単に行ける所ではなかった。当時は南大東島空港の滑走路が短く、定員19名の小型プロペラ機が1日に2往復しか飛んでなかったこと。それゆえ航空券の入手がとても困難であった。また、海上の有視界飛行のため、天候が怪しいと飛べなくなり欠航率も高かった。

このような秘境ともいえる小さな島ゆえ、よほどの理由がないと出張の許可が出そうもなかった。

しかし市場を知る必要性と、小売店の状況を視察するという、もっともらしい理由を添えて出張申請を上司にしたところ、意外とあっさり許可がおりた。後で分かったことだが、ここ何年も担当者がこの島に行っておらず、現状を誰も知らないので、この機会に見てこさせようとのことだったようだ。

運よく往復の航空券が入手でき、1992年10月21日に南大東島へ向かった。飛行機はDHC6ツインオッターと呼ばれるカナダ製の双発プロペラ機。かつては離島路線の欠かせない存在として、北海道から沖縄まで各地で活躍した飛行機である。今は日本国内からは引退してみることはできない。

機内は大変コンパクトで背中を屈めて機内に入った。機内は与圧されておらずマイクロバスのような空間で、座席もベンチに近いものだった。満席のはずだが幾つかの空席があった。後で分かったことだが南大東島には給油施設がないため往復分の燃料を満載しなければならない。そのため往きのフライトは燃料を積む分、重量制限のため定員を減らしているとのことだった。それを知って、ますます南大東島の遠さと行きづらさを実感した。

南大東島までのフライトは1時間30分くらいだっただろう。JALやANAのジェット機なら九州まで行けてしまうが、ヒトと荷物と燃料で満載の小型プロペラ機は大海原の上を時折雲をくぐりながら飛行を続ける。飛行高度が低いので海面の波間までもはっきり見える。延々と海原が続いていたが前方に小さく陸地が見えてきて、だんだんと大きくはっきり見えてきた。島の周りは断崖絶壁だ。

機体は高度を下げ着陸態勢にはいる。ジェット機なら少々機首を上げ気味に降下していくが、ツインオッタ―は逆に機首を下げて滑走路に突っ込んでいくように短い南大東空港の滑走路にランディングした。

バスの待合所のような小さい空港の建物では取引先の社長さんが出迎えくれた。

ピックアップトラックの助手席に乗せて頂き、島の中心部にあるお店に向かった。沖縄によくあるコンクリート造りの建物は意外と店内が広く、食料品をはじめ洗剤等の日用品から自転車迄置いてあった。圧倒されるくらいなんでも置いてある、そんな品数である。社長さんは「島には店が数軒しかないから、なんでも取り扱わないと島の生活が成り立たない。生活物資は月に数便の船便で那覇からやってくるが、少しえも海が荒れようなら船が来ない。だから在庫もしっかり備蓄している。」と言う。

絶海の孤島の厳しさがこの話から伝わってくる。

お店の従業員さんと自社商品の売れ行きなどを聞いていたが、5年ぶりくらいに当社の営業が訪ねてきたとのことであった。

せっかくだからと沢山の商品注文を頂くことができ、一通りの業務を終えると、社長さんが島内を案内してくれた。

島内は「幕」と呼ばれる小高い丘が周囲を取り囲んでいるので島というよりどこかの平原にいるような錯覚を覚える。「幕」の向こうは断崖絶壁でその下は海大波が絶壁をたたいている。

砂浜などはなく、船が接岸できないことから人も荷物もゴンドラに乗って上陸するときいた。かつては島内で採れたサトウキビを運ぶための簡易な鉄道が島内を運行していたようで、港に近くにはコンクリートに埋もれたレールを見ることができた。この絶海の孤島にかつては鉄道があり、線路が残っていたことにとても驚いた。

島の周りは絶壁だが海面近くまで下れるところもあり、そこには海軍棒とよばれる岩場をくりぬいた天然のプール!があった。海軍棒という名前はすごいが、近くの岩場に明治時代に旧海軍が測量用に建てた棒に由来しているとのことだった。このプールは満潮時には海面下になるのでとてもワイルドだ。

島内の食堂で何かを食べたはずだが残念ながら記憶になく、社長さんに帰りの空港まで送って頂いた。

「島には中学までしかありませんから、卒業すると子供たちは皆、島を離れるのです。十五の春に巣立って行くのです。」

と車中で社長さんが語った言葉に胸が熱くなった。

 

あの絶海の孤島に出張で訪ねたということが25年以上たった今日でも強烈に記憶に残っている。今では飛行機も大きくなり,かなり行きやすくなったようだが絶海の孤島であることに変わりはない。

台風のシーズンに南大東島の名前をテレビの天気予報で聞くたびに、今でも出張で訪ねたことを思い出すのである。

出張という旅 兵庫 2019年9月

兵庫

 

 和歌山出張の15日後、再度関西へ向かうことになった。大阪の梅田やミナミ、京都などはそれなりの頻度で訪問しているが、今回は兵庫県である。

兵庫県の上空は九州との往復で何度も飛んでいるが、実際の訪問となると縁が薄く神戸と三宮に一度行ったことがあるだけであった。

 

 2019年9月19日、品川発6時37分のぞみ5号で新神戸へ向かう。早朝出発の新幹線なのでビジネス客がやはり多い。品川駅ホームの13号車位置で列車入線を待つ。

車内に乗り込み3人掛け窓側16番A席に向かうと、通路側のC席に中年の女性が座っており、それはいいのだがテーブルに弁当を広げご自分の世界に浸っている。

 声をかけると慌てて弁当をしまおうとしたが要領悪く、おかげで通路では私の後ろでヒトの渋滞が発生してしまう。

 東海道新幹線は東京を出発しても品川、新横浜と立て続けて全ての列車が停まり、大勢の人が乗ってくる。新翌浜までは17分ほどなので、食事やパソコン作業などは新横浜を出発してから、テーブルを利用する方がマナーとしてスマートだし、皆が平和に車内の時を過ごせる。車内放送でそのような案内をしても良いのでは、と思う。

 

 新幹線の車内マナーで気になる事がもうひとつあって、それは電源コンセントの使用を巡る攻防である。東海道新幹線に使用されているN700系の普通車は各号車、最前部、最後部の全席と窓側座席に電源コンセントが設置してある。

以前、窓側A席の指定席で品川から乗車すると、先客の若い女性が通路側C席に着席していた。例のごとくテーブルを出して、パソコンのキーボードを叩いており、おまけにそのパソコンからは窓側壁下のコンセント口まで延々と電源コートが延びている。面倒くさそうに、いったんテーブルをたたんで。通しはしたが、電源コードについては何も触れず、語らずであった。

色々調べてはみたが窓側に設置してある電源の使用については、窓側だろうが通路側だろうが明確な規定はなく、JRに尋ねても「お互い譲り合って・・」との回答くらいしかないであろう。

譲り合えば別に構わないと思うが、足元にコードが延びていると邪魔だし、足で引っ掛けて怪我などのトラブルだって起こりうる。どうしても電源を確保したいのなら座席指定で確保するなり自由席で並ぶなりの努力は必要であろうし、どうしても離れた場所から繋がなければならないのなら、周りへの配慮の気持ちと言動が必要だと思う。

2020年7月から運行が開始される東海道新幹線のN700Sという車両は全席にコンセントが設置され、北陸新幹線はすでに全席にコンセントが設置されている。大変便利で結構なことなのだが、車内マナーはどのような環境下でも皆が意識することが大切であろう。

 

のぞみをはじめ東海道山陽新幹線を利用する時は11号車を指定するようにしている。

品川駅ホームの階段、エスカレーターの位置に至近であること、他の号車に比べて定員が少なく、いくらかヒトの密集感が和らぐような気がするので11号車を指定する。過去にはのぞみ111号11号車11番E席と1づくしの時もあった。これが11月11日だったら最高である。

今回はあいにく11号車が結構混んでいたので13号車にした途端、リズムが崩れたかのようにスムーズにはいかなかった。色々出張を重ねてくると、ゲン担ぎではないが、乗車する車両にも相性が出てくるのかもしれない。

 

のぞみは新大阪から山陽新幹線に入り、わずか12分で新神戸に到着。到着したホームには修学旅行の中学生集団が、大挙のぞみに乗り込もうとしており、出発時間を過ぎてもまだドアを閉じられない様相だ。

新神戸からは北神急行線で谷上へ向かう。この線は2020年6月に神戸市営地下鉄北神線となったが、当時は別の事業者となっており市営地下鉄と直通運転をしていた。

トンネル内を8分ほど快走して地上にでたところがもう谷上である。周囲を小高い山に囲まれ、大都市神戸の近隣とは思えない景色だ。地図を見るとこの辺りは六甲山系の山地となっており、山並みは市街地の北側近くにまで迫っている。

接続よく2分ほどで9時36分発の神戸電鉄有馬線三田行きに乗り換え。少々小ぶりな電車で右左にカーブをこなしながら。山間の結構きつい勾配を上げっていく。登山電車に近い感覚である。後に知ったことだが全国登山鉄道パーミル会という親睦団体に神戸電鉄は加盟しているとのことだ。

車内は幼い子を抱えたお母さんの他ご年配の方が数名、車窓とあいまって長閑なものである。出張でここにいる事が不思議な気分になる。

途中、有馬温泉への分岐となる有馬口、二郎というヒトの名前のような駅を通り、30分ほどで横山に到着。ここも接続良く、3分ほど待って神戸電鉄公園都市線に乗り換えて、9分でウッディタウン中央に到着。新神戸から52分ほどの小旅行的道中であった。

こちらは駅名や線名が現わしている通り、新興ニュータウンで整然と住宅が並び緑豊かな神戸や大阪のベットタウン、北摂三田ニュータウンのひとつである。先ほど通ってきた道中の景色とは全く違うので少々戸惑う。駅前にはショッピングセンターもあるが人の姿はまばらである。

今回の目的地は、このウッディタウンにある取引先との商談である。

商談は1時間ほどで無事に終了。夕刻には東京のオフィスで会議があるため、早々に引き返すことになる。

 

往路をそのまま新神戸まで戻り、一旦新神戸をスルーして三宮まで向かった。兵庫県内の最大級の商業地なので駅前の小売店の視察のためである。

三宮はJR、私鉄、地下鉄が集中する三宮駅を中心に商業施設が集まる神戸市内の中心的繁華街である。時間がないので駅前に絞って回ることにした。

さすがに三宮駅前は人出も多く賑わっており活気がある。いずれじっくり神戸も含めて再訪したいと思う。

駅近くの生田神社で商売繁盛を祈願してから再度、新神戸駅へ向かった。新神戸発12時52分の新幹線に乗らねばならない。

正味午前中だけの兵庫県滞在であったが、1日で兵庫と東京の業務をこなせる時代である。新幹線の威力は絶大である。

出張という旅  大阪・和歌山  2019年9月

 

大阪 和歌山

 

 大阪を中心とした関西エリアは市場規模でみれば当然、首都圏に次いで巨大なエリアである。

2019年9月4日、大阪と和歌山で商談があり、新大阪に前日の3日夜に入っていた。

大阪は梅田を中心にホテルの宿泊代が大変高くホテル選びに苦労するが、新大阪周辺になるとほぼ規定内に収まる。今回向かう取引先が新大阪駅近くにあるため、新大阪のビジネスホテルに前泊することにした。

新大阪駅改札内外の設備、商業施設は新しくなっているようだが、駅から出で駅舎を振り返ると国鉄時代の雰囲気がどことなく漂っている。名前は新大阪だが旧大阪といった感じの風景である。

駅周辺は全国チェーンのビジネスホテルが軒を並べ、その奥にはオフィスビルが連なっている。

飲食店や商業施設は少なく人工的かつ無機質な空気が流れている。気になるお店もなかったので駅ビル内のマクドナルドでアプリのクーポンを使って、遅い夕食を持ち帰った。駅からホテルまではヒトも少なく街灯も少ない。暗い中、ホテルにたどり着くまで難儀した。

ホテルのフロント係の笑顔はなく、機械的な対応で最低限の案内でフロントキーを渡され、チェックアウトは銀行のATMのような自動精算機であった。建物も部屋も新しく清潔だが、必要最低限の設備とサービスだ。

街とホテルのせいか、なんだか自分が部品の一部になったようで、面白くもおかしくもない新大阪の一晩であった。

 

朝、明るい感じがして目が覚める。朝日が差し込んで目覚めたようだ。

朝9時、新大阪駅スターバックスで大阪在住S営業担当と合流する。スタバで簡単に商談の打ち合わせ後、歩いて7分くらいのとこにある取引先へ向かった。初めての訪問でいきなり取引内容の見直しの提案なので、少々緊張もあったが無事に終了することができた。

少々時間がおしたので急ぎ足で新大阪駅へ。

Sさんと別れ、新大阪発11時15分の特急くろしお9号で和歌山へ向かう。和歌山を訪れるのは初めてなので背筋がぞくぞくする。

車内は天王寺から若干の乗車があったものの3割程度の乗車率。白浜へ向かうのか欧米人の姿も見える。

日根野のあたりまでは車窓に住宅が立ち並び、和歌山との県境前後では山間部に入り、ちょっとした渓谷のような趣もあった。スマホの地図アプリを見ると「山中渓」という駅を通過していた。

 

新大阪から1時間で和歌山到着。

 

 

紀勢本線和歌山駅。大阪隣りの県庁所在地だがゆったりした空気感。駅の列車時刻表をみると朝7時台は約10分ごとに天王寺方面へ電車があるから大阪の通勤圏内ではあるのだろう。駅前の近鉄百貨店は閑散としていた。

 

午後1時に和歌山担当のTさんと待ち合わせのため、それまでタリーズでPCを開けメール等チェックする。

私は車内や機内ではPCを開かない、というか開く気にならない。酔ってしまうリスクと、周囲への配慮と、せっかくの移動時間なので貴重な車窓を見入るか、睡眠に充てるかにしたいと思っている。

そのため、乗り換え時間や待ち時間がPC作業時間となる。

Tさんと合流して少し遅い昼食をとる。Tさんお薦めの駅ビル地下にある和歌山ラーメンのお店に入った。

初めて食す和歌山ラーメンは黒っぽい醤油味スープに中太縮れ麺がからみ、こってり過ぎず、あっさりしすぎず絶妙なバランスでとっても美味しい。
 失礼ながら、正直あまり期待していなかったので和歌山ラーメンがこれほどうまいとは思わなかった。今まで各地で食べたラーメンのなかで間違いなくトップスリーに入ると思われた。

 

昼食後、駅近くの取引先へ向かう。個人経営のお店で取引も長いことから、商談も長くなったが納得いただくことができた。

 和歌山は大阪府の隣であるから首都圏で言えば千葉や埼玉といった位置づけだと思っていたが、かなり違う感じである。ヒトの密度は明らかに余裕があり、同じく大阪府の隣接している京都や兵庫とは明らかに違う、のんびりしたというか失礼ながら田舎的情緒も漂っていた。

 仕事ではなくゆっくり訪ねてみたいと思わせるディープな空気感を感じて和歌山駅と向かった。

帰りはJRの紀州路快速電車に乗り途中の日根野で乗り換え、関西国際空港へ向かう。和歌山から東京へはこのルートが一番早く、割引チケットを利用すれば新幹線より安価で移動できる。

関西空港駅に着くと向かいのホームには南海の電車が停まっている。ここだはJRと南海が同居していることを思い出した。

訪日観光客が大変多いが国内線のゲートをくぐると人の密度はかなりうすくなった印象だ。

搭乗までの時間、こじんまりしたANAラウンジで会社のPCを開く。3時間ほどの間にメールが30通ほどきていた。

17時半発羽田行きはANAコードシェアスターフライヤー運航便。関空から羽田まではタイムテーブル上80分となっているが実際のフライト時間はもっと短いだろう。

 

薄暗くなった羽田に定刻に到着した。羽田空港では第1ターミナルの1番ゲートに到着したもののボーディングブリッジと反対側の前方右側ドアから降機し、バスで第2ターミナルへと向かった。機体右のドアから乗り降りするのは初めてだ。

スターフライヤーは羽田第1と第2の両方のターミナルビルを行先、出発地によって使い分けている。関西空港発着便は第2ターミナル利用なので、機材の運用によってはこのような現象が起こるのだろう。

大阪東京間で初めて空路を利用したが、新幹線より数段快適に思えた。

 機内サービスに加え空港ラウンジが使えることや、仮に満席でも60分程度のフライトなら我慢できる。ただ相対的に空路は料金が高いので安いチケットが利用できる時期に伊丹、関空に近い場所への訪問であれば、空路を利用するメリットはかなり大きいと思いながら今回の出張という旅が終わった。

 

出張という旅  徳島・愛媛・広島

徳島・松山・広島

 2019年8月20日からの出張は徳島、愛媛、広島を二日間で周るという強行スケジュールであった。

それぞれの街で本社を構える複数の小売店系列本部に、取引の見直しを依頼する難儀な商談が目的となっている。そのため初日は早朝の出発となった。

 当日、朝イチの横須賀線で品川へ向かう。初電でも結構多くの乗客数だが座ることができた。

 いつもならアクシデントに備え午前中の商談時には現地に前日入りするのだが、今回は前日の所用のため止むを得ず当日移動となった。

 品川で京急に乗り換え早朝6時過ぎに羽田空港へ。7時のJAL453便で徳島へ向かう。今回で3回目の徳島行きだ。

 最近では時間の流れがやたら早く感じるのと同時に早起きが苦ではなくなってきた。会社でそんなことを話すと、同世代の者は異口同音にみな共感してくれる。

 今回も寝過ごすことなく、無事に羽田空港第1ターミナルに到着した。

 

 早朝の羽田出発便を利用する際、密かな楽しみがひとつある。

羽田空港国内線ターミナルは1と2があるがどちらにもラウンジがあり、条件次第で無料で利用できる。ラウンジには大きく2種類あり、ANAやJALが運営する航空会社ラウンジと、クレジットカード会員向けのカードラウンジがあり、羽田空港ではPOWERLOUNGEと命名されている。

 どちらもソフトドリンクのサービスがあり、モバイル充電ができるスペースとなっている。航空会社ラウンジは自社の上級会員かアッパークラスの乗客向けのサービス、カードラウンジはゴールドカード以上だと無料で利用できる。

幸い、私はどちらのラウンジも利用できる条件が整っているので、どちらのラウンジも利用できる。特にANAラウンジは昨年の出張三昧のおかげでプラチナメンバーとなったことから利用資格が備わった。

 どちらのラウンジも甲乙つけがたいが、航空会社ラウンジはビールや日本酒などのアルコールも無料で飲み放題なので、お酒はあまり飲まない私でも夕方以降ならANAラウンジ一択となる。

 しかし早朝の羽田空港ではパワーラウンジ一択だ。なぜなら美味いクロワッサンが無料で提供されるのである。利用客数の状況で日別に差はあろうが、概ね7時半くらいまでは提供されている模様だ。

このパワーラウンジは座るエリアや通路も大変ゆとりがあり、ANAラウンジよりも快適な空間に感じられる。個人的にはパワーラウンジを利用することが早朝以外でも多い。第2ターミナル北ピアのパワーラウンジが特によろしく、何時間でも滞在していたいと思う。

 今回はJAL利用なので第1ターミナル内のパワーラウンジを利用した。ここはカジュアルな感じで出入りしやすい雰囲気。今回のように短い時間に利用にはちょうどいいかもしれない。

ここの冷たい飲み物は、機械抽出ではなく、ボトルからグラスに注ぐものなので、高級ホテルの朝食のような上質感がある。

グラスに牛乳を半分ほど入れ、アイスミルクコーヒーをつくり、さらにオレンジジュースに青汁をブレンドさせた自分製オレンジジュースでのどの渇きを潤した。

お目当てのクロワッサンを2個食して、寛ぐ間もなく搭乗口へ向かった。

 

 B767が見えてきたがすでに搭乗が始まっており私は最後に近かった。盆休み明けの平日早朝ということもあって機内はかなり空いていた。座席はクラスJの9K。さすがにクラスJはシート全体にゆとりがあり、前のシートとの間隔もひろく快適だ。

 会社のシステムで運用されている法人向け国内出張手配サポート、「JALオンライン」で、クラスJに無料でアップグレートできるキャンペーンを行っていたので今回はこちらを利用させていただいた。

 ほぼ定刻に機体は滑走路へ向かい離陸となった。離陸後10数分後には白い雲海から藍色の富士山が姿を現した。

 

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 徳島空港に到着後、ターミナル内のレンタカー受付に向かう。レンタカーは出張先でのありがたい移動手段だ。法人割引のおかげで、タクシーやバスなどを使うよりコストカットもできる。

 ターミナル脇に停めてあったワンボックスカーに案内され1分ほどでレンタカー営業所へ。

「盆明けで配車に余裕がでてきました。」とドライバーさんが教えてくれる。

カウンターで書類にサインして、係の人と車の周りを傷のチェックしながら1周する。

 運転席に座り、カーナビで取引先住所をインプットして出発だ。

 9時からと早い商談なのでひたすら空港から南下して、吉野川の長い橋を渡り徳島市内へ向かう。市内にそびえる眉山が見えてきて40分ほどで取引先に到着。

 商談は1時間を少々超え、10時過ぎまでかかった。予想していた以上に難航したものの何とか新しい取引体系について理解いただけた。

 

 気持ちをリセットして、徳島を離れレンタカーでまっしぐらに愛媛県の県庁所在地松山へ向かう。松山への移動手段をどうするか迷ったが列車で3時間半、車で2時間半強と1時間の差は大きく、レンタカーで松山乗り捨てを選択した。距離で200キロと久々の長距離ドライブだ。

徳島自動車道に入り、吉野川沿いに西へ西へと走る。吉野川沿いということは西南日本を九州東部から関東へ横断する世界第一級の断層である中央構造線に沿って移動していることになる。進むにつれて河岸平野の幅は狭くなるが、吉野川は水量豊かに悠々と流れている。

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吉野川S.A.

 

道はほぼ片側1車線の対面通行だが、通行量が少ないのでかなりスムーズに走れる。それに以前ほどスピードを出さなくなった自分に気づいた。年をとったせいか。

だんだん山の斜面が険しくなってきた。四国山地は想像以上に山深い。冬には雪も積もるし、西日本の最高峰は四国の石槌山だと思い出した。

 

徳島県のだいぶ奥まで走ってきたところにある吉野川SAで昼食をとる。徳島ラーメンを初めて食した。豚骨ベースに濃い醤油で味付け、甘い豚のバラ肉が乗っていた。なかなか個性的な味わいである。

 徳島の食でとても印象に残っているのが、別の出張時に宿泊した、ホテルの朝食バイキングで盛られていた生ワカメである。ぬめっとした舌触り、歯ごたえ、滑らかさと全ての面で、私の中のワカメ観がひっくりかえるくらいうまかった。わかめだけ何回も小皿に盛って飲み込むように食べた。あとで訊いてみるとそれは鳴門ワカメで旬は冬。まさに食したのは1月の出張時であった。

 

 高知方面と松山方面の分岐に差しかかると雨が降り出し視界が悪くなってきた。周囲は四国山地でとても山深い。かずら橋で知られ、深いⅤ字谷の続く祖谷渓が近いのも頷ける。

 さらに走り、丸亀方面からの合流が加わると交通量が増えてきた。香川方面から松山にかけて車の動線が太いのだろう。四国中央市付近で瀬戸内海が垣間見えたが、あまり視界の利かない中、スピードを抑えて松山へ向かう。

 松山中心部に入り、オレンジ色の路面電車が走る横をすり抜け、JRの松山駅とは少し離れた伊予鉄松山市駅近くのパーキングに車を預ける。駅ビルは高島屋と一体化しており規模が大きい。ただし店内は閑散としている。

地方都市の人の密度はこれくらいが平均なのかもしれない。

 松山市駅近くに昔は賑わっただろう銀天街という商店街があり、その一角に取引先がある。

 商談は淡々と進み、今後の取引改定について快諾いただくことができた。

さらに少し郊外の取引先に向かい、こちらは穏やかな空気の中での商談中、意外な抵抗があったものの無事に終了した。

 

今日は3つの商談で約4時間、移動で6時間以上と結構ハードだった。

もうだいぶ日が暮れてきたが最後のミッションが、今日1日のパートナーだったレンタカーとのお別れである。JR松山駅近くのレンタカー営業所前に車を横づける。名残惜しいが、今日1日行動を共にしてきたこの車ともここまでだ。

「お忘れ物はないですか?この車はこれからすぐに徳島へ戻すので、忘れ物あったら大変です!」と係の女性。なんでもこれから陸送トラックに載せて徳島まで今夜のうちに回送するとのことだ。車もほんとうにお疲れ様である。

 レンタカーと別れたあとは、市電、正確には伊予鉄市内電車で、大街道という松山城の入り口にある繁華街へ向かう。乗った電車は恐らく昭和以来走り続けているだろう年代物だったが、すれ違う電車には真新しいのもあった。どれもオレンジ色で愛媛ミカンを連想させる。

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松山に限らず、路面電車に乗るとその街の脈動のようなものを感じる。名脇役俳優のように路面電車は街を彩っている。

今夜の宿は「ANAクラウンプラザホテル松山」。このホテル系列は全国にあり、ほどよいリッチ感とANAのネーミングの安心感から規定料金内で宿泊可能な時はお世話にあることが多い。

 チェックイン後荷物を部屋に置いて、この界隈を散策してみる。松山は「坂の上の雲」の舞台ともなっている。主人公の秋山兄弟生誕の地がホテルの近くにあり、空手らしき道場となっていた。

 

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 ホテルに戻り、長かった今日一日を締めようと最上階のバーに入った。普段、家ではほとんどアルコールは飲まないが、出張で泊まる時は時間があれば、不思議とホテルのバーに向かう。バーテンダーとたわいのない会話をするのも出張先ではいい時間だ。

小一時間の間、客は私ひとりであった。

 

翌日も早朝から活動開始。高速船で広島へ渡るため7時前にチェックアウト。ホテル前から松山港行きのバスに乗車する。バス乗り場には、松山空港へ向かうバスを待つ人も結構いて松山の朝は早い

仕事で船に乗るのは北海道の奥尻島から江差へ向かった時以来だろう。12年ぶりだ。いずれにせよそう滅多にあることではない。

松山観光港は新しいターミナルで岸壁では高速船「祥光」が乗客を待っている。

 定刻に出航し、港をでると一気にスピードを上げ、波しぶきが窓をたたく。天気は良く瀬戸内の島々間を呉港経由で広島へ向かう。出張とはいえ旅の気分が高まる。

 呉を出航して間もなく異様な黒っぽい物体が海面を進んでいることに気づく。まさかクジラかなと目を凝らすと、なんと潜水艦が浮上航行していた。多分50メートル位の距離しか離れていないところを「祥光」は何事もないように潜水艦を追い抜いていく。

 

 航行している潜水艦を海上の至近距離から見るのは初めてであった。後で合流した広島のU営業担当に少々自慢げにこの事を話すと、

「ああ、あの辺で潜水艦は、うようよしていますね。」とそっけない反応だった。

でも呉といえば旧日本海軍時代は重要な軍港であったし、今でも国内有数の自衛隊の拠点基地であるから、潜水艦が行き交うのは日常的なのだろう。<

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広島港に9時20分に到着。下船して陸地のどっしりした安定感と安心感が靴底を通して伝わってくる。頭はまだ海上にいるようでクラクラしている。

フェリターミナル前から広島市電に乗り込み、広島駅近くの今日最初の商談先へ向かった。

取引先の入り口で広島在住のU営業担当と合流。商談は11時からである。

ここのバイヤーさんがかなり難攻不落な方で、今回も相当な抵抗があるかと覚悟して臨んだ。

案の定、いくつかの注文がでてきたが、想定内ではあったので、丁寧に説明しなんとか取引見直し案に合意頂くことができた。

予定より若干時間オーバーしたので急ぎ足で広島駅へ。

 

今回最後の訪問先は広島県東部の福山市。新幹線に乗り込み20分強で到着。駅ホームの横に福山城が見えている。新幹線のぞみ号の一部が停車する広島県第2の都市だが、駅前は寂れ感が漂っている。

駅近くのレンタカー営業所で車を拾い、この街に本社のある取引先へ向かう。

商談は、まとまらず持ち越しとなった。最終的には後日の再商談で多少の譲歩はあったものの想定の範囲で終了となった。

夏の長い夕日が瀬戸内の海にだいぶ落ちてきて、これから東京への帰途につく。U営業担当を福山駅でレンタカーからおろして広島空港へ向かう。最後、もうひと踏ん張りだ。

広島空港は福山市内から約1時間。空港近くのレンタカー営業所に着いた時は夕闇に包まれていた。

広島空港はやはり街からは遠かった。

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広島空港 B787

 

 

出張という旅 諏訪・安曇野 2019年7月

諏訪・安曇野

 

 都内で中央線の電車に乗ることはあっても東京駅や新宿駅から山梨や松本方面の列車に乗る機会は滅多にない。

 2019年7月26日、何十年かぶりに松本行きの「あずさ」に乗ることになった。

長野県に本社を有する取引先との商談のため、「信州」へ向かう。自分自身久しぶりの長野県である。

中央線といえば八ヶ岳甲斐駒ヶ岳北アルプスへ向かう路線として観光行楽路線のイメージが強いが、新宿発8時松本行きの特急「あずさ5号」の車内は平日にも関わらず満席であった。

すれ違う中央線の電車はちょうど通勤ラッシュでヒトの瓶詰の様だが、こちらは満席でも新型の特急でゆったり座り優越感に浸る。

 八王子を発車して、高尾を過ぎると一気に山間に入り、東京から脱出した感が強まる。

大月からさらに上り勾配になるが軽快にあずさは駆け上がる。

笹子トンネルを抜けるとぱっと当りが開け、眼下に甲府盆地を一望した。

 ブドウ棚で覆われた山肌をあずさは下っていく。このあたりは勝沼のブドウ産地だ。快晴の空の下、塩山付近では南アルプスの山並みを一望し、甲府に近づくと富士山の頂がみられた。東海道新幹線の車窓から静岡県側の富士山は何度も見てきたが、山梨県側からの富士山は新鮮だ。

甲府で3分の1くらいの乗客が下車して、その半分くらい乗ってきた。

甲府からは再び上り勾配となり、韮崎を過ぎると右手にいくつもの頂を持つ八ヶ岳が見えてきてやがて小淵沢に到着。ここの標高は886メートル。かなり高いところまで登ってきた。外の空気は爽やかだろう。左手には甲斐駒ヶ岳が全容を現わしている

県境を越え長野県に入り、10時06分茅野着。観光客、登山客が多く降りた。スーツ姿は私の他は2、3名といったところだ。

 

茅野駅の改札口外には見慣れた顔があった。先に現地に入っていた長野県担当のS営業担当だ。ここからは二人でレンタカーでの移動となる。

駅の外に出ると空気がなんとも爽やか。茅野駅の標高は790メートル、蓼科高原八ヶ岳、車山高原など多くの観光口の玄関口となっている。

レンタカー会社では登山の服装をした先客二人連れが手続しており暫く待ったのち、書類へのサインと車体の傷確認で車の周りを1周する恒例の儀式を係の女性と執り行う。これは意外と楽しい儀式である。

レンタカーは6月の沖縄出張以来で、今回も私がハンドルを譲らず握らせてもらう。Sさんは30代だがペーパードライバーらしく異論はなかった。

蓼科の標識が見えるとそちらへハンドルを切りたくなるのを我慢して、茅野の隣の諏訪市内にある今日最初の訪問先へ向かう。目的の取引先は十数分ほどですぐに到着した。

商談は、Sさんが事前に根回ししてくれていたので、スムーズに進み40分程で終了した。

 

次の目的地、松本の北に位置する安曇野市へ向かう。諏訪ICから中央自動車道に入り北上する。ちょうど昼食時に差し掛かったので諏訪SAに立ち寄る。

諏訪SAの眼下には東洋のレマン湖といわれる諏訪湖が広がっていた。

諏訪湖を眺めていると仕事で来ている事を忘れてしまう。

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昼時のせいか駐車場もレストランも家族連れが多く混雑している。世の中はもう夏休みに突入していることに気付かされた。あずさの満席にも合点がいく。最近我が家では、主人はたびたび出張で家を空けるが、家族での旅行に行っていない。子供の気持ちを思うといずれは何処かへ連れていきたいと思う。

上諏訪温泉の源泉を使用した「ハイウェイ温泉諏訪湖」に惹かれるが、車に戻り中央道を北上する。

 

松本の町を望み安曇野を快走し、安曇野ICで一般道へ降りる。目前には北アルプスの燕岳や常念岳が全容を見せていた。

目指す取引先はロードサイドの商業施設内にあり、ICからすぐだった。時間が少しあるので近くの「コメダ珈琲」でSさんと打合せを兼ねてコーヒーブレイクすることにした。

安曇野とは美しい地名だ。自分が思うに岩手の雫石と双璧だと思う。

地名の響きと、漢字の視覚からくる感覚の双方が脳に透明感のある美しい残像を残す。

北アルプスの峰々の景観と合わせて思い出に残る場所である。

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商談は大過なく進み、来春にはこちらの意向通り取引を終了することとなった。

出張で安曇野に来ることは恐らくもうないでだろう。少し残念である。

 

安曇野をあとにして車で20分ほどの松本市内へ向かう。市内の小売店を視察する。今回の出張業務は松本で終了だ。国宝松本城を訪ねてみたいところだが時間的に無理であった。

松本駅からは常念岳を始め北アルプスの峰々が雲の合間から遠望することができた。爽やかな風を感じながら「あずさ30号」に乗り込み、一路新宿へと向かった。

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出張という旅 熊本 2019年7月

熊本

 

 私は列車の出発が1時間遅れると、かなりの不安と絶望感におそわれ、三十分遅延でも同様にかなりのストレスとなり、自分の我慢弱さに少々情けなくなる。

 列車がそこまで遅れることは人身事故を除けば滅多にないのだが。

ところが飛行機の出発が一時間遅れるとなると「あーあ仕方ないか」と早々に諦めの境地に入り、さほどストレスとはならない。見たところ同じ場にいる周りの乗客たちの反応も、同じような傾向に感じられるのは気のせいであろうか。

 推察するに、遅延する頻度は列車より飛行機の方がはるかに多く、理由が天候に起因するなど半分諦めに近い感覚があるのが大きい と思われる。

何より令和の世になっても飛行機は空を飛ぶ特別な非日常的なもので、空を飛んでしまえば速いという特殊性が、飛行機遅延に対する思いを寛容にしているようなら気がする。

時間をつぶすにしても駅と空港では、空間的にも気分的にも空港の方が勝っている。

 移動にあたり陸路でも空路でも、遅延や運休などに遭遇したくはないが、少なからず当たってしまうことがままある。

幸いなことに、私の普段の行いのせいかどうか別としてこれらのトラブルに遭うことは、出張頻度に比して少ない。新幹線や特急でのアクシデントは皆無に近く、飛行機も多少の遅延は日常茶飯事だが大きなアクシデントに遭遇する事はあまりない。

しかし、あまり発生しない中でも二度ほどアクシデントに遭遇した。不思議とその二回とも福岡出張でのことだった。

 

 二〇一九年七月一七日、羽田発18時ANA269便で福岡空港へ向かった。熊本と福岡での商談に備えて前泊移動である。

 順調なフライトで玄界灘上空まで来たところ、「福岡空港、雷雲の影響で着陸ができない状況です。しばらく上空で待機します」との機内放送が流れた。

 暗闇の中に雷光が明滅しているのが見えるが、揺れはそれほどでもなかった。玄界灘の上空を10分くらい旋回しただろうか、機内放送で「天候の回復が見込まれないため、当機は長崎空港へ向かいます。」とのアナウンスが流れた。さらに「このあとの対応につきましては長崎空港で地上係員よりご案内の予定でございます。」とのこと。

思っていたより大ごとになってきた。機内は8割方埋まっているが、少しざわついた程度で意外と静かだ。皆さん大人だ。長崎空港から博多まで陸路で移動か?長崎泊か?費用は?など色々な?が頭に浮かんできた。

 玄界灘から長崎空港までは夜間のため何も見えなかったが、わずかで15分ほどでタッチダウン。離陸へ向けタキシング中の737の背後の空港ターミナルにNAGASAKIの文字が浮かんでいた。

 「ご案内までしばらくお待ちください。」との放送に言われるがまま待っていると、15分くらいしてから「福岡空港周辺の天候が回復してきたのでこれから給油後、当機は福岡空港へ向かいます・」との機内放送。

 しかしそれからが長く1時間ほどしてからようやく機体が動きだした。

 

 結局、博多駅筑紫口から徒歩7分ほどのアリエッタホテル福岡にチェックインしたのは、予定よりも3時間近く遅い23時を過ぎていた。

 目的地以外の空港に着陸するダイバートを初めて経験したが、不思議と苛立ちやイライラ感はなかった。

空での移動という非日常的行為の中で、ダイバートという特殊要因が、空間移動という特別な体験を増幅させ、貴重な体験として脳にインプットされたような気がする。

遅くなっても博多ラーメンだけは食べようと、ホテルにチェックインする前に、博多駅地下のSHINSHINに立ち寄りラーメンを食す。ラーメンをすすりながらANAアプリで他の便の発着状況を見てみると、私の搭乗した269便以外はほぼ定刻通りに福岡空港に離発着していた。見事にピンポイントで雷雲によるダイバードに当たってしまったようだ。

 

 翌朝、自分の家で寝ているつもりで目を覚ますといつもと感じが違う。そして今は博多にいるのだと気づく。

カーテンを開けると小雨模様。朝食をとりに1Fのレストランへ。このホテルはこざっぱりしていて宿泊代もリーズナブル。

博多の隠れ家的で密かなお気に入り。

廊下が外廊下となっているのが特徴で、部屋の戸を開けると外の空気を感じる。7月の福岡らしく昨晩からの雨の湿気が顔を覆う。

レストランのモーニングメニューは多からず少なからずのバイキングで量的にも丁度よろしい。イタリアン中心に味もまたよろしい。一度ランチやディナーも味わってみたいと思う。

 

博多駅発9時4分の九州新幹線「さくら」で熊本へ。さくらの指定席は新幹線の大振りな車内にグリー車並みの二人掛けシートで通路挟んで4人掛けだから快適だ。東京に直結する新幹線のぞみではこうはいかない。

小雨の中わずか40分弱で熊本着。ホームからエスカレーターで1Fコンコースに出ると巨大な「くまモンの」上半身がお出迎え。

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熊本駅のクマモン

 

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改札口出ると熊本在住のS営業担当の姿が見えた。巨大なくまモンを見た直後なのでS担当がスマートに見える。

ここからレンタカーで商談先へ向かう。20分くらい走り、郊外の工業団地の一角にオフィスがあった。

今回の商談内容はかなりヘビーなので難航が予想された。かなり以前から取引させていただいているので感謝の意を表しつつ、現状に即した新しい取引の形についての提案である。

 

商談の結果、多少抵抗はあったが何とか今後の方向性について合意を得ることができ、熊本まで来た甲斐があった。

商談が終わり、熊本市内中心部へ移動する。市電の脇をレンタカーですりぬけて、下通といわれる界隈へ。茶臼山という小高い丘の上に熊本地震被害から復興中の熊本城が見える。2回目の熊本訪問だが今回も熊本城へ行くことは時間的に無理だった。

平日の昼間ということで人の出はさほどではないようだが、博多は別格としても大分や宮崎よりは活気があり、九州内での熊本の立ち位置がそのあたりからも感じられる。市電が走っているというのも街を彩る大きな要素になっていると思う。

一方で何軒か取引のある小売店に立ち寄ってみたが、休日中心に郊外のショッピングモールに人は流れているようだ。地方都市によくみられる現象が熊本でも起きている。

昼食のころ合いなのでどこかで食べようということになり、熊本の名物グルメといえば馬刺しやれんこん、熊本ラーメンと言ったところが思い浮かぶが、結局ちょっとおしゃれな洋食屋に入った。

 

熊本からの帰途は、再度博多へ戻り博多駅周辺の市場視察の後、福岡空港から帰京するスケジュールとした。

熊本出張は、博多経由でかつ博多付近での業務とセットで予定を組むことが多い。実際、熊本へ空路直行したことは一度だけである。

理由として

  • 博多駅熊本駅が新幹線で40分程度と至近なこと
  • 福岡空港博多駅が地下鉄で10分程度と利便性が高いこと
  • 熊本空港が市街地から1時間以上と遠いこと
  • 福岡空港の発着便数が圧倒的に熊本空港より多いこと

といったことが挙げられる。中でも①の博多駅熊本駅の時間的距離を大きく縮めた九州新幹線の存在が大きい。新幹線の威力はこれくらいの距離でことのほか発揮する。熊本が主たる目的の出張でも、その前後で九州最大の市場規模である福岡での業務を入れることができることとなり、効率的な出張が可能となった。


 博多駅到着後は予定通り駅周辺の商業施設を視察してから福岡空港へ。福岡空港はリニューアル中で地下鉄から出発ロビーにかけて美しくなっている。

20分くらいの短い時間を利用してANAラウンジへ直行。まわりはビジネスマンらしきひと達でいっぱいだ。

ラウンジでのビール一杯が出張の終わりを実感させる。このまま東京へ帰るのはもったいないといつも思うが出張なので仕方がない。

 

18時半発ANA266便の機材は787だ。この機材は意外と搭乗する機会がなく、今回が2回目となる。10Kの非常口座席をアサインしていた。

非常口座席は翼の上にかかるケースが多いのであまり利用していないが、この機体の非常口は翼より前方に位置しているので、視界は良好、窓側でしかも隣を気にせずに出入りができるのでキープできればとてもラッキーだと思う。

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おまけに自動チェックイン機で席の埋まり具合を見たときは隣席が埋まっていたのだが実際は空いていた。

このような事象は実はたまに経験があり、ほどほどの搭乗率の時にあたることがある。数多い出張のおかげ私はANAの上級会員組織の上から2番目にあたるプラチナメンバーとなっており、もしかしたら搭乗率の状況次第では隣席をブロックしてくれているのかもしれないと思ったりする。そのような噂も聞いたことがあるが、公式なアナウンスはどこにもないので、あくまで個人的な希望的観測ではある。

帰りの機中はラウンジでのビールが効いたせいか珍しく睡眠モード。「ご使用になりましたテーブルとリクライニングを元の位置にお戻しください。」のアナウンスで目を覚ました。機は高度を下げながら館山上空を飛行していた。

今回の出張は当初の福岡、熊本に加え長崎というおまけがついてきた。業務の成果もあった。

飛行機は羽田空港に向け、最終の着陸態勢に入った。