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サラリーマン生活30年 分野を限定せずに幅広いジャンルで旅、生活、興味のあることを 普通の会社員生活視点から情報発信してまいります。

出張という旅 札幌出張にて 2017年11月

札幌出張にて 2017年11月の記録

 出張に出向く際のスケジューリングはとても重要である。プライベートの旅ならば自由気まま、というのもありだが、出張では当然そうはいかない。
前後の社内外の予定など様々な制約のうえで、いかに効率よく移動できるかを探る作業は、手間がかかるがなかなか楽しくもある。
段取りとして、目的の場所や日時が定まったら、前後の業務日程をにらみつつ、日帰りか泊りかを決定する。
 次に宿泊有りならばホテル手配、そして移動手段の選定とチケット手配となる。
 福岡や札幌なら飛行機、仙台や名古屋、大阪なら新幹線でほぼ確定だが、大阪での仕事の後、九州方面などへ向かう場合なども想定され様々な移動ルートからベストな手段を見出すことが必要だ。
 今ではルート検索アプリのおかげで簡単にルート検索ができ、スケジュールが立てやすくなった。特に点から点への検索では検索アプリが鉄板である。
 しかし複数の出発地や目的地から最善のルートを探す出すためには、全体的に俯瞰しながら考える必要があり、昔ながらの紙ベースの時刻表の出番となる。新幹線や航空会社の時刻表が駅や空港カウンターで無料配布されているので、重宝している。

(注・残念ながら2021年以降は紙の時刻表は多くの企業で廃止されてしまいました・・・)
会社で紙の航空時刻表を眺めていたら「今時、紙の時刻表なんてあるのですか!」と驚かれた。驚くには大袈裟だと思うが時代を感じさせられた。アナログな手法で行程を作成するのは、なかなか楽しいものである。

出張は久々なのでルールについて総務担当者に早速尋ねようかと思ったが、自分の業務のことなので自ら社内の出張規定を調べてみることにした。特に航空機利用の範疇について知る必要があった。
すると、
①    陸上交通機関で5時間以上かかる場合
②    新幹線含む鉄道指定席特急券代より航空料金が安価な場合(空港までの交通機関代を含む)
このいずれかがあてはまれば、航空機が利用できることがわかった。そ
 宿泊の規定は知人宅泊とホテル等利用の場合で対応が違い、ホテル泊の際は上限1万円である。
また、もう実際に適用されるケースはほぼ皆無と思われるような、夜行寝台列車利用の場合はB寝台に限る、などの規定や船舶利用の規定もある。可能性が少しでもあるケースについては削除することなく網羅しているようだ。
 限られた規定に沿ってスケジュールを組むのも妙味があり、これも一種の出張の醍醐味だと後々思うようになった。

 

札幌

 

 新千歳空港に降り立つと、故郷に帰ってきたような、ほっとする気持ちになる。

 転勤により北海道で15年生活し、そのうちの9年間を札幌の街で暮らした。

その間にお嫁さんに来ていただき、可愛い男の子にも恵まれた。

自分は東京生まれだが、自分の故郷は札幌だと思っている。体質が北海道仕様に染まったせいか、寒さには強くなったが暑いのはからっきし駄目である。

 そんな札幌を離れて8年も過ぎ、その間、かの地を訪れる間もなく日々が過ぎていったが、この事業所に来て最初の出張が札幌とあいなった。これも縁だと思った。

 

 今回の出張は取引先小売業の本社へ、営業担当者と同行商談である。この取引先は札幌在勤中に担当していた系列なので、あの頃の先方の担当者は、まだいるのだろうか?と考えたりする。

 2017年11月17日、羽田7時半発のJAL503便で新千歳へ。飛行機に乗るのは8年ぶりくらいで、搭乗手続きやいろんなことが不安であったが滞りなく機中の人となった。

私はどちらかといえば、ANAでもJALでもこだわりはないのだが、なんとなくANAのマイルを貯め、ANAカードをメインカードにしているのでANAを中心に利用してきた。今回も会社のPC画面から出張オンライン手配でANAを検索した。

ところが行きも帰りもANAは満席の表示。ではJALはどうかとクリックしてみると、かろうじて移動可能な便に数席の空席を見つけた。

空路の便は確保したので次は宿の手配だ。久々に「じゃらんネット」で検索をかけると、これまた札幌市内で宿泊可能なのは、定山渓温泉やJRタワーの5万円以上もする部屋しかヒットしない。かろうじて植物園近くのホテルに1万円ちょうどの部屋がひと部屋空いていたので即座に予約を入れた。

 

11月のこんな閑散期に北海道へ行く人がそんなにいるのか、と不思議に思ったが、現実に搭乗したJAL便も羽田空港出発ロビーの出発便案内表示は満席表示であった。

搭乗できたことに感謝しつつ、乗客は出張族か観光客かと、指定されたシートに座り周りを見渡してみると、スーツ姿もいるがそれ以上に、20代から中年の年代の幅広い女性客が目立った。

シートは後方窓側のA席。混んでいるにもかかわらず運よく窓側、それも左側である。

私は子供っぽいかもしれないが窓側派だ。

国内線ならトイレも少しくらい我慢できるし、雲海の上での非日常的な時間を味わうには空からの景色が味わえる窓側がよろしい。それも陸地が見える側だ。羽田から北へ向かう便なら左側、つまりA席が順光にもなりベストである。
 黒い基調の新型のシートに座り、久々に離陸時のゴツゴツした振動を感じながら、あっという間に離陸。多摩川越しに川崎の町、武蔵小杉のタワーマンション群を一望し、その向こうには雪を頂いた富士山の頂が見えた。

 羽田から新千歳に向かうフライトルートは個人的に感慨深い。宇都宮の上空を経て岩手、函館山を遠方に臨み新千歳へ高度を下げていく。帰りは茨城上空経由するので宇都宮は遠いが代わりに盛岡市の真上を飛行する。宇都宮も盛岡も函館も、かつて家族とともに生活を営んできた街だ。

この日はルート上の天候に恵まれた。宇都宮の街が衛星写真のごとく見え、盛岡はルートから外れたが田沢湖が一望でき、函館山も遠くに確認できた。スマホで撮影した画像を拡大してみると、宇都宮で住んでいたマンションも識別できた。わずか数十分の間にかつて暮らした街を通り過ぎ、走馬燈のように暮らした街の情景、小さかった我が子の姿が脳裏に浮かんだ。

海原の先に苫小牧のコンビナートと街並みが見えてくるといよいよ着陸である。仕事で北海道へやってきたのだが、北海道に帰ってきた感覚が甦ってくる。なにもかもが懐かしい。

 

ほぼ予定通りに快晴の新千歳空港タッチダウン。到着ロビーには人気アイドルグループ「嵐」「嵐の全員揃った大きなポスターが人々を出迎え、その周囲には若い女性からご婦人方までたくさん集まり、お互いにポスターの前でスマホ撮りあっている。

この光景を見て、飛行機がどれも満席だった理由がわかった。今日は「嵐」のコンサートが札幌ドームで開催されるのだった。このコンサートチケットの入手は東京会場はもとより各地で困難を極め、比較的倍率の低い札幌会場を狙って予約を申し込むファンもかなりいるらしい。というのも、数年前、岩手の盛岡からわざわざ札幌まで「嵐」のコンサートに行った同僚がいたのでなんとなく状況は知っていた。今日はまさに日本中の嵐のファンが飛行機もホテルも満室にしてしまうくらいに札幌ドームめがけて大移動しており、私はその真只中に自ら身を投じていたのだった。「嵐」まさに恐るべし、である。

 

予定通り取引先本部バイヤーとの定期商談を終え昼食をとったお店が、取引先近くにあった「ステーキ宮」であった。この店は栃木県を中心に東日本中心に出店展開しており、宇都宮にいたころはよく利用していたものがが、まさか札幌でステーキ宮に出会い利用することになるとは想定外であった。

札幌にいながらも宇都宮にいるような感覚になりながら、1年ぶりに定番の「宮ランチ」を注文した。味は宇都宮も札幌も当然ながら一緒で味もボリュームも満足であった。

 

札幌市内の市場視察ののち、今夜の宿となる札幌ガーデンパレスホテルにチェックインした。今日の業務は終了したので、久しぶりの札幌の街を歩いてみる。さすがにまだ雪はないが肌につき刺さる空気を感じながら大通公園を歩く。以前と変わらぬテレビ塔が私を見下ろし、西9丁目あたりにある、かつて息子と遊んだイサム・ノグチ作の黒い滑り台も健在だった。

西11丁目の大きな交差点の手前で、大通公園から一旦南一条側の小路に歩を進める。やがて薄い橙色の10階建てのマンションの前にたどりつく。ここが札幌で5年ほど住んでいたところだ。

11年の月日が経過していたが、ついこの前までここに居たような空気がそこにはあった。ただマンション前の雑居ビルにあった、歯医者の看板がなくなり、隣にあった保険会社の駐車場は小洒落たマンションに変わっていた。

時間は確かに流れていた。なにより、あの頃はそれなりに立派に思い、気に入っていたマンションだが11年の風雪に耐えた姿は少々年季を感じるものがあった。お互いに少々年を取ったな、と玄関のレンガを触りながらつぶやいた。

今日の商談後、取引先でかつてお世話になった方と再会することができ、ふくよかになった姿と、彼の増えた白髪から時の移ろいを感じたが、かつてのマンションを見てなによりも自分が年をとっているのだと強く思った。

 

遅い夕飯は近くの西9丁目、狸小路を突き抜けたところにある小さなラーメン屋「五右衛門」と決めていた。今回の出張における最大の楽しみが五右衛門のラーメンだ。札幌ラーメンといえば味噌味が定番だが、こちらは醤油味しかない。あっさり感とこってり感が絶妙に麺と絡み合い、丁寧に仕込まれた白髪ネギと小枝メンマ、褐色のスープが食欲をそそる。五右衛門のラーメンは10年前と変わらぬ味わいだった。